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總宮神社の獅子舞は長井地方の獅子舞の起源だと言われています。
伝承では、今から約940年前源頼義が前九年の役の戦勝祝いと合わせ、總宮神社の社殿を再建した時に兵士達に獅子舞をさせたのが始まりといわれています。(1063年)
最も古い年号の記入がある獅子頭は寛文十一年九月十九日改(1671年)と書かれています。「改」と書かれていることから、この年代以前から獅子頭があったのだろうと推測され、おそらく、室町時代以来の物であろうといわれています。
太古の人々の信仰の中に山岳信仰があります。深い山中には神が住み、川の上流には竜神が住むと考えられていました。長井を流れる野川の上流にも竜神が住み、野川の水を支配していると信じられていました。長井の人は野川の上流の三渕(みふち)に神社を祀り、その里宮として總宮神社を祀りました。
三渕に伝わる神とは總宮神社に伝わる「卯ノ花姫伝説(うのはなひめでんせつ)」で姫が三渕に身を投じ、大蛇となって神社に祀られたという物語です。里宮(總宮神社)の大祭には奥の院から三渕の神を迎い入れることとなりますが、この神(大蛇)が總宮神社の祭礼に招かれ、野川の流れを下る姿が宮の獅子舞の姿であると言われています。
總宮神社の獅子幕の裾(すそ)は麻(あさ)でできていて、水中に没(ぼっ)して姿が水面に映ったようにできており、前幕には水面を進む時にできる波頭(なみがしら)を表し、横幕には波と、しぶきを表した模様がついています。
獅子頭は他地域のものと大きく異なります。目玉が丸く飛び出て、眉(まゆ)が目玉の後方に下がって前後に面長の獅子として彫られ獅子頭と言わず「蛇頭(じゃがしら)」とも言われます。それに波頭を表した大幕(約九メートル)をつけ、多人数の舞手が入り、大幕多人数入(おおまくたにんずういり)の獅子となっています。その事から「百足獅子(むかでしし)」とも言われています。舞い方も蛇行し、頭は一定の高さに保って上下せず、腰に動きをつけて滑るようにして舞う姿は豪快そのものです。そして最も注目すべき点はいわゆる「唐獅子(からじし)」とは違い近年「黒獅子(くろじし)」と呼ばれ、獅子頭の色が赤や金ではなく、黒塗りの獅子であるというところです。
長井地方には100近くの大小様々な神社があります。その内半数、約40社の神社にそれぞれ「總宮神社」の流れを汲む獅子舞があります。
獅子に関わる俗信の中に安産、火伏せ、子供の成長祈願などがあります。そういった信仰の崇拝や「百足獅子」のが語源となっているように、大きな幕の中に若者を取り入れ、地域の過疎化を食い止めようとする気持ちとが上手く融合してそれぞれ地域独特の獅子舞となり現在に至っています。
今日、長井周辺(市内はもとより、飯豊、川西など)のお祭りに行って獅子舞の起源を尋ねると、その答えは決まって「縣社にならった!※1」と言う返事が返ってきます。
※注1 縣社(けんしゃ)・・・戦前のお宮の社格、位(くらい)
總宮神社ホームページ URL http://www.sohmiya.org
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